このラブドールは学生時代の片思いを終わらせてしまった

 僕の高校時代に、とある綺麗な女の同級生に恋をした。いまさら何十年ぶりのたくさんのことを振り返っても、何らの意味もないと思っているけど、僕は未だあの時のあの女の子を忘れらたことがない。

高校生の頃にはいつも夏の記憶がもっとも代表性を備えて、僕が彼女に 対する記憶も夏にある。僕の成績はやばすぎで、学校に成績によって席の順次を並べるというルールがあるから、いつも最後のところに座っていた。そしてクラスの人数は単数だから、僕は同席がないことになった。

成績が悪いし、同席がなくて話し相手さえいない僕はあの時確かに孤独に苛まれてい続け、苦しんでいた。あの時に限って、彼女は僕の目の前に現れた。彼女は優しくて綺麗で、またクラスには成績がいいし、僕はほぼ彼女と話しあったことがない。「あの、私はそばに座っていいの?」と僕に聞いた、「ええ、どうぞ、どうしてですか」と僕はこう反問し、彼女は「私の同席が病気で学校を休んでるから、あなたが一人でしょ、ちょうど同席を揃えられる。」と。

僕は聴いたら、びっくりした。彼女はただの短時間でそばに座ることじゃなく、僕の同席になるつもりだとは、正直に驚いた。すると、彼女は高校生活の末期に僕の同席になっちまった。

だが、その代わりに、僕を更につらくならせていた。

彼女のおかげで、僕はもっとも以前よりいい学校生活が来ると思ったら、活力が全くない僕がこれから彼女と一緒に一所懸命に勉強できると思ったら、退屈でつまらない命に輝いているような彼女が僕に憧れている恋愛を連れてくると思ったら、結局はかえって全部最悪になった。

大学入試のため、クラスの全員は皆勉強に急いで、ほかのことを考える暇が全然ない。もちろん、彼女もそうだ。僕と同席の時に話が少ないし、コミュニケーションも言うまでもなくないだ。ある時、僕は我慢できないから、彼女に話しかけてしまたが、「え、そう。」とか「はいはいわかった」とか「すみません、今忙しいから」っていうような返事ばかりもらった。まあ、僕のせいかもなあ、僕が間違えたのは彼女を彼女と初めて対話した印象によって考えていることだ。

でも、よりによって、僕がまだ彼女をすきだということをやめるのはどうにもならなく、ずっと苛まれているだけだ。

高校卒業のときでも僕はあの好きだという言葉を言い出せなかった、なぜなら、一つは僕の臆病、もう一つは彼女は僕に興味なしと思っているんだ。

彼女に対する最後の印象は卒業写真を撮り終わって、彼女は自分のものを机から取り出して、カバンにしまって、僕を一目も見ず教室から直接に離れてしまった。その時、彼女は徹底的に離れたのに伴って、僕はもう限界だと感じた。すると、一人で机の下に蹲って、思いっきり泣きだしてしまった。

さよなら、僕が好きな女の子。そして、さよなら、僕のつらいけど懐かしい青春。

もしさよならを言いたくないなら、彼女を取り戻すのは一番重要だ。だが本物は今まで不可能に決まっているが、ラブドールなら、可能になる。僕はソリッドドールというネットラブドール通販店にあの時の彼女と完全にそっくりしているラブドールを購入した、さらに十万円以下だ。

このラブドールは僕が彼女に対する思いで、片想い及び残念を全部補った。また、このドールにとあることもできるし、なんのことってこっちに聞いてんじゃないぞ、セックスなんだよ。

では、少しにまとめてやろうか、青春は一度さったら、二度と戻れないものだ。各個人の青春の中に大なり小なり自分が忘れられない人あるいは出会いがさまざまある。【王家卫】という監督がこういった、「もし手に入れないとしたら、あなたに唯一できることは忘れないことだ」と。

だから、もしあなたの記憶にはモノあるいは事だったら、その代わりの代物はなかなか探しにくいが、もし人間だったら、ラブドールを謹んでおすすめします。僕のようだね。

はい、僕の物語はここで終わりだと思う。またね!

 

ただの十万円以下のラブドールは私の心を救ったとは???

私の名前は空条仗助、年齢はもう三十二歳になりました。今は日本に住んでいる、離婚で独身しているけど、自分が独身ではないと思っている、なぜなら、私は自分の心を救えるラブドールがあるんです。これから、私は自分がラブドールに救われた物語をみんなに語ろうとします。

かつて、私も幸せな生活を持っていた。妻は優しくて綺麗で、は可愛くて大人しい、こうして私はこのまま自分の人生が大満足だと思いきや、思いがけないことが起こってしまいました。

私の八歳の娘は小学修学旅行のときに、車の事故で命は奪われてしまった。
その以後、私の生活は地獄に落ちた。妻は「離婚しよう、このままじゃ、あたしはもう死ぬわよ、もう限界だ」と無表情そうな顔して言ってくれてしまった、私はあの時何もせずそのままでいいとかどうでもいいとかといった自暴自棄のような考えを持って、そうしてしまった。
妻と離婚した一年後、私はこのソリッドドールズというラブドール通販店をネットで見かけた。いきなりそのサイト内に自分の娘とそっくりしてる人形を発見した。嬉しさのあまり、涙が何年ぶりにもう一度あふれてしまった。その自分の娘とまるで同じようなドールを見つめながら、本物の娘に対する過去の思い出がさんざん湧いてきて、そしてそれを購入しました。

娘にそっくり


娘が死んだその頃に、私は続いて生きている価値がなくなりつつある。死にたいとか早く誰かに殺されたいといった考えも生じたことがある。だが、全てはこのラブドールサイトに購入したドールがあるから、私は続いて生きている思いを取り戻せて、命を絶するような馬鹿馬鹿しい考えをやめられるんです。
今、私は自分のドール娘と以前のような生活を送っていて、自分の親友から過去に生きてはいけないと言われたが、私はもう構わないだけと考えています。
自分はこれから引き続き過去に生きようとするかもしれないが、その過去を徹底的に忘れたとしたら、私はまたあの死にたいほど悲しい頃に戻るしかないと思います。
このラブドールは私に続いて生きる勇気、信念及び娘への永遠に終わらない思いをくれて、だから私は誠にありがとうございますと「彼女」に言わなきゃ、そしてこのソリッドドールズという名のラブドール通販店にもです。

私はこの通販店にこの娘そっくりのラブドール十万円以下っていう激安い価格で購入しました。このラブドールは私のいくらの金をかかっても治せない心理的な傷を治しました。だから、もう一度感謝します。

私は最近夢を見ました。それは娘が生き返ったように私のそばに座ってて、「パパ、ちょっと聴いてよ、私の夢は姫様になりたい、ねえねえ、私は姫様になれるの?」と私にこう言ってくれて、私はこうした返事をした、「きっとなれますよ、そしてあなたは姫様になっただけでなく、パパの心を救ってくれました、だから、ありがとうね。」と

ラブドール=女性嫌悪???(後編)

 展示観覧客のうち一部はSNSや国立現代美術館のYouTubeチャネルなどにコメントを書き込み、「作家がラブドールを作品の題材にして、この作家を公共機関が『今年の作家賞』の候補としたこと自体が巨大な女性嫌悪ミソジニー)」と主張する。また「デート暴力が社会問題になっている韓国で、物体になった女性身体をめぐり、男性の『心の傷』について語るのは女性嫌悪」とし「展示を今すぐ中断するべきだ」と主張した。オンライン上では「今年の作家賞_チョン・ユンソク_候補剥奪せよ」というハッシュタグが広がっている。

 



 しかし、チョン氏は「映画を通じて、変化する時代の中で各個人が選ぶ人生のあり方を通じて人間らしさとは何かに対する質問を投げたかった。具体的には人間の矛盾について語りたかった」と話した。中央日報が送った書面質問に対する回答で、チョン氏は「観点によってはこの映画の題材を見て不快感を感じる人がいると思う」としながら「だが、その不快感を通じて、私たちが一生懸命目をそらそうとしている現実を見ることになるだろう」と答えた。チョン氏は引き続き「明らかことは、今回の新作で提示した問題意識は、まもなく到来する未来であり、解決しなければならない問いかけ」としながら「『明日』という題名も、そのような観点で多義的な意味を込めた」と明らかにした。チョン氏はまた「映画の前半部で人間を商品化する資本主義社会を批判し、後半部では主人公が持つ矛盾と人間に対する不信を客観的に見つめようと努力した」と説明した。

 これについて美術界は「見る方向によって作家がラブドールを題材としてとらえ、これを芸術的に再現する方法に対して不快感を感じるかもしれないが、『女性嫌悪』と断定して作品を撤回するよう主張するのは行き過ぎ」という立場だ。



 ある専門キュレーターは中央日報の電話インタビューで「再現の領域で、多くの人々が不快に思ったり恥部だと考えたりすることなどを扱えるのが芸術」と話した。また、美術評論家のチェ・ヨル氏は「作品が直接あるいは直接的に倫理的な基準を越えたものでない限り、それを特定の観点で切って捨てるのは、妥当な態度とみることはできない」と話した。続いて「自分の考えだけが芸術と社会に対して絶対的に正しいといった主張は、ややもすると暴力的になりうる」としながら「むしろ今回のこと契機に、より多くの人々が共に討論し、芸術的な省察を行うほうが望ましいのではないか」と反問した。

 チョン氏は個人の生活と社会的事件の間の関係に光を当てるドキュメンタ ー映像を撮り続けてきた。

 2014年には犯罪組織「至尊派」の検挙、聖水(ソンス)大橋の崩落と三豊(サンプン)百貨店の崩壊を扱ったドキュメンタリー『Non-Fiction Diary』を発表し、2016年国家保安法を題材にしたドキュメンタリー『パムソム海賊団、ソウル・インフェルノ』などを発表した。展示は来年4月4日まで。

ラブドール=女性嫌悪???(前編)

 
 
日本でラブドール成人用人形)で有名な人がいる。中島千滋さん(63)だ。中島さんの狭い家には人と同じ大きさの人形が5体ある。妻と2人の子どもがいる家長ではあるが、家族と別れて暮らす中島さんは、人形を入浴させ、一緒にテレビを見て寝るなど日常を共に過ごしている。最初は性的欲求を満たす目的で人形を買ったと話す中島さんは「人形は私を裏切らないからいい」と話す。
 
韓国の国立現代美術館「2020今年の作家賞」候補に入った視覚芸術作家であり映画監督のチョン・ユンソク氏のドキュメンタリー映画『明日』の一部分だ。現在、国立現代美術館ソウル館で展示中のこの作品は、俗にラブドールといわれる女性全身人形を題材にしているという理由で「女嫌(女性嫌悪)」論争が起きている。成人用人形の輸入をめぐって起きている論争のもう一つの側面だ。
 
これに先立ち、2019年最高裁は「関税庁の成人用人形の輸入通関保留措置は違法」と判決を下した。だが、関税庁はその後も個別企業の輸入通関申請を許可しておらず、関連の訴訟が続いている。関税庁と市民団体は「身体をリアルに表現し、人の尊厳性と価値を深く傷つけて、性風俗を乱す物品に該当する」という立場である一方、企業は最高裁の判決を根拠に「『性器具』として身体の属性を表しているにすぎず、人の尊厳性と価値を深く傷つけるものではない」と主張する。
 
国立現代美術館の「今年の作家賞」は毎年最も注目している作家を紹介するプロジェクトだ。昨年12月4日に開幕した展示は新型コロナウイルス新型肺炎)防疫措置で1カ月ほど中断されていたが、今月19日から再開された。「2020今年の作家賞」の候補はキム・ミネ(39)、イ・スルギ(48)、チョン・ユンソク(39)、チョン・ヒスン(46)各氏。チョン・ユンソク氏は映画1本と写真および映像設置で構成された作品を公開した。このうちドキュメンタリー映画『明日』は、中国のあるラブドール工場の労働現場風景をリアルに追い、日本でラブドールと一緒に暮らす千滋さん、そして人工知能(AI)ロボットを政治的代案として提示する松田道人さんについて扱っている。
 
扱う題材が題材であるだけに、工場で商品が作られる工程は眉をひそめさせるような場面であふれている。臀部生殖器など女性の体の部分が工場労働者によって乱雑に扱われるところが登場する。一部の場面を停止させてキャプチャーした写真作品も展示した。製作工程の一部であることを前提にしてるが、まるで人間の身体を切断したかのような暴力的イメージの場面だ。女性の尊厳を傷つけた芸術なのだろうか。でなければ、私たちが一生懸命目をそらそうとしている現実を直視しろという作家の警告なのだろうか。

芸術に達したか、「ラブドール」は?(後編)

美術館に収蔵されても不思議じゃない

 山下さんは、明治時代の頃に見世物のため人間そっくりに作られた「生人形(いきにんぎょう)」が近年、美術品として再評価されていることを挙げ、「ラブドールは『現代の生人形である』と僕は思っています。将来的に、美術館に収蔵されても何も不思議じゃないと思いますよ」と言います。
 「工場見学をしましたが、素晴らしい人形を送り出したいという職人の熱意にあふれていました」といい、作品として自分の名前を残そうという狙いがない点が、暮らしの中で人が使うための道具に美を見いだす「民芸」の世界と共通するとも評します。

 

使い手への気遣いが技術力に直結

 同画廊のラブドールの展覧会は、今回で5回目。毎回、女性客が多く訪れているそうです。
 近年ラブドールは、杉本博司さんやアメリカのローリー・シモンズさんなど現代美術家が作品に用いる例がありますが、スタッフの大沼瞳さんは「ドールそのもののかわいらしさと、アートとしての価値をお伝えしたい」と言います。
 「ラブドールは1点ものではなく、量産品。皆に愛される顔やプロポーションが研究され、使い手への気遣いが技術力に直結している点もすばらしいと思います。視覚も触覚も満足できて、人に幸せをあげられる存在。実際に、展覧会でドールに触った人はみんな口元がゆるみ、幸せそうに見えます」。

約40年の歴史、手作業の結晶

 オリエント工業ラブドールの製造を始めたのは1977年。展覧会には、82年につくられたドールや、これまで同社が手がけてきたモデルをまとめた年表も展示されています。
 ドールの体部分の造形を担当している大澤瑞紀さんに、工場を案内してもらいました。
 首から下の身体は、骨組を入れた型にシリコンを充てんし、電気炉で熱してつくっているそうです。顔は女性スタッフが、ひとつひとつ丁寧にメイクをして、仕上げていました。


 大澤さんは芸術系の大学で彫刻を専攻したといい、「高校生の頃、自分で作った陶器を実際に使ってみて、魅力を感じたのが自分の原点のひとつ。お客様に楽しんでもらうための製品で、アート作品ではありませんが、芸術性を評価してもらえるのはうれしいです」と話していました。

芸術の域に達したか、「ラブドール」は?(前編)

 

女性の身体を模した「ラブドール」と呼ばれる人形。かつては「ダッチワイフ」とも呼ばれていましたが、そのラブドールに「芸術性」を見いだし、「いずれ美術館に収蔵されてもおかしくない」と惚れこんでいるのが、「日本美術全集」の編集委員も務めた、美術史家の山下裕二明治学院大教授です。そんな山下さんが、日本の美人画ラブドールで再現する企画を監修したと聞き、見に行ってみました。

和服姿でちらりと見やる「美人」

 東京・銀座のビルの地下2階にあるギャラリー「ヴァニラ画廊」では5月22日まで、ラブドールの製造・販売大手「オリエント工業」の製品を紹介する展覧会「人造乙女美術館」(会期中無休、入場料千円。18歳以下未満は入場不可)が開かれています。
 中に進むと、様々な表情やポーズで撮影されたラブドールの写真がずらり。女性の目から見ても、アイドルやファッションモデルさんのように可愛らしく、わくわくします。さらに進むと、和服姿でこちらをちらりと見やる、「美人」とばっちり目が合いました。

山下裕二さんプロデュース異色の展示

 妖艶さに、上品さも漂う見返り美人。こちらは山下さんのプロデュースで、麻布と日本の画材を用いる「現代の美人画」が人気の画家・池永康晟(やすなり)さんが描いた女性を、オリエント工業の職人さんがラブドールで再現したもの。
 山下さんが選んだ「桜樹志乃」というモデルに、絵のイメージに近づくようアレンジを加えた力作です。
 憂いを帯びたまなざしや、色っぽく額にかかる前髪。まとめ髪も忠実に表現されていて、池永さんの絵からすっと抜け出したよう。
 一方で、タレントの壇蜜さんがそこにいるような、人間ぽさも感じられます。他にも、美人画を得意とした大正期の画家・橋口五葉(1881~1921)と橘小女(さゆめ)(1892~1970)の絵の女性を繊細に再現したドールも見られます。

「骨」も感じるリアルな感触

 別の部屋には、訪れた人が触ってみることができるラブドールが1体展示されています。画廊のスタッフが見守る中、手を消毒してから触らせてもらいました。
 皮膚はシリコン製で、吸い付くようです。指の関節には自然なしわが寄せられ、「骨」のような感触も……。目の前にいるのはただの人形ではないように感じ、何だか恐れ多いような、恥ずかしいような気持ちになりました。

《ラブドールは胎児の夢を見るか?》って画像ー後編

展覧会で作品を目にした人からはどんな反応がありましたか

 「似ている」「セルフポートレートですか」と言われました。私自身、ラブドールに感情移入している部分はありますね。昨夏に発表した「The Forever Love」というシリーズでも、私が実際に結婚パーティーで着用したウェディングドレスアクセサリーを着せて「結婚写真」を撮ったりしていますし。

 展覧会では、世代や性別によって相当反応が分かれました。「女性の尊厳を表している」と解釈してほめてくださった年配女性もいれば、少数ですが「妊婦はエロだよね」という男性もいました。
縦223センチ、横152センチと実物よりも大きな写真で、かなり背の高い人でも作品を見上げないといけない設定にしたので、「女神のような荘厳さ」を連想した人が多かったですね。なかには、会場で「子ども産みてー!」と叫んでいた女子高生もいたらしいです(笑)。
 こうした多様な反応はまったく予想していなかったので、驚いています。自分としては「人間の女性から生殖が切り離された未来」を想像し、「生命とは何か」「人間とは何か」を考える目的でつくった作品。「女性の尊厳」というところまでは想定していませんでした。同時に「エロ、いいね!」みたいな人もいるわけですから。
 マタニティー・ヌードという表現自体が「芸術かわいせつか」という問いを含んでおり、ラブドールにも同様に「エロかアートか」という論争があります。
 私自身は「わいせつだからアートじゃない」「アートだからわいせつじゃない」とは、言えないと考えています。「女性に向けてやっています」というポーズのマタニティー・ヌードの写真集でも、アマゾンのレビューを見ると「すごくエロかったです」と男性目線で書いてあったりする(笑)。ミロのビーナスを見てセクシーだと感じる人もいれば、何も感じない人もいますよね。

アンドロイドが妊娠したら

「人間の女性から生殖が切り離された未来」というテーマについて、少し掘り下げて説明していただけますか。
 すでに日本の大学でも、ヤギの胎児を人工子宮で育てる実験が行われています。かたや米国では人工知能を搭載したラブドールの開発が進められているそうです。
 昨年見に行ったあるアンドロイドのシンポジウムで、印象的な場面がありました。女性型アンドロイドが来場者の質問に答えるというデモンストレーションで、「将来の夢を教えてください」という質問に、そのアンドロイドは「30歳までに結婚して、子どもを2人持って幸せな家庭を築くことです」と回答したんです。
 みんな笑っていたけど、私はかわいそうだな、と感じてしまった。批判したい気持ちはまったくなくて、それが一般的な反応なのだとは思いますが。
 人工子宮の技術を人間に応用するとなれば倫理的問題が大きいですし、仮に実現したとしても女性の見た目をとることはないでしょう。でも、代理母のような生殖の外部化が進むなか、人間に近いアンドロイドがどんどん開発されている状況を踏まえると、「アンドロイドが妊娠したら…」という発想自体は自然に浮かぶものじゃないかな、と思うんです。
そうやって技術や機械が人間の領域に近づこうとする一方、人間の女性の側は逆に人工的なものに引き寄せられてきている……と指摘していますね。
 プリクラを撮れば自動的に目が大きく、肌が白くなり、マンガ的にディフォルメされる。セルフィーを加工して、足を長くしたり、あごを細く見せたりすることもできる。最近では、アイドルの自撮りに「ラブドールみたいでかわいい」というコメントがついたり、女性が「ラブドールメークしてみました」と肯定的な意味で発信したりすることもあります。「人造乙女博覧会」の来場者も、実は女性の方が多いんです。
 プリクラ的に加工されていく女性の見た目と、人間に近づいていくラブドールの姿というのは、一つの交点で重なり合うのではないでしょうか。

女性がモノ扱い、まったく逆ですね

男性が思いのままにできるラブドールは、女性がモノ扱いされることを助長する」という批判については、どう思いますか。
 まったく逆ですね。所有してみて思ったのは、ラブドールは要求してくることがめちゃくちゃ多いんです。切れてしまうから固いものの近くには置けないし、色移りしてしまうから安物の服は着せられない。シリコンからにじみ出てくる油分を、ベビーパウダーをはたいてとってあげる必要もあります。
 相当丁寧に、柔らかく接してあげないといけません。何でも思い通りになるということはなく、むしろ愛情を掛けた分だけ返してくれる存在です。

 ラブドールをすごく愛しているユーザーさんのなかには、性行為をしない人もいると聞きます。「里帰り」といって、メーカーは不要になったラブドールを回収して人形供養に出しているのですが、どこに傷がついているか、どの部分の関節が緩くなっているかで、大体どういう行為をしていたかわかるそうなんです。
 長く所有していたユーザーさんほど、キレイに戻ってくると。大事にしているから、汚れたり壊れたりするのが嫌なんでしょうね。
 ――最後に、今後の抱負をお聞かせください。
 ラブドールを使った作品も、それ以外の作品も考えています。女性の表象や「美とは何か」という問題が自分の核にあるので、その軸はブレずにやっていきたいと考えています。