とある足フェチの自白

俺が足に興味が生じたのは高校の頃です。
あの時、周りの友とクラスの男同士はみんなエロい動画についての話を絶えずしていたが、俺は最初からそれにあまり興味なしだ。ある日まで至って、俺は母についてのAVビデオを見ちまったせいで、その以後に足に夢中になっちまった。そのビデオの内容は一人の学生が沢山の友達を家に連れてきて、学生の友らはお母さんの美人すぎる姿を見かけたから、すると、美人母は彼らに犯されてしまった。
だが、俺はそのビデオ中のお母さんが警察を呼ぶだろうと思いきや、まさか、彼女は息子の友らとセックスすればするほど止まらないくなっちまった。最初からの受身が主動になった彼女はさらにひどくなった。息子の友らを家に誘って、そして、自分の息子の目の前に、彼の友らとセックスしてた。
 
 
 
 
まあ、そのビデオ中のお母さんは淫乱だなあと思っている俺はだんだんいやらしい反応も出てきた。そのビデオを見て、悪かったと思うが、刺激すぎで、俺はほんとに我慢できなかったんだ。すると、そのビデオの中から自分は最もエロくて刺激なシーンを探し出して、それに向かってオナニーするつもりだった。
けど、探していた時に、俺を一秒も我慢できないほど興奮させるシーンが出ちゃった。それはその学生の友らは人数が多すぎ、ほぼ九人ほどだから、何人かはすぐにやれなくなって、そばに待つしかない。いきなりに、あるやつがあ母さんの足を上げて、自分のちぽんで足のあるゆるところを摩擦して、すればするほど速くなってきて、結局そのやつはお母さんの足にいっぱい出しちゃった。
俺はみたままで、何もしてないでビデオ中のやつと共に出しちゃた。
そこで、俺はまんまに足フェチになった。今までもそうだ。だが、時間を経つに従って、俺のような変な性癖を持っている人には、性欲を解決すればするほど難しくなる。なぜなら、それはオナニーしすぎで、普通の刺激では、全くない出したい感じをもらえない。また、少しうっかりしたら、バレる可能性も高いから、実にきついなな。
万事休すかと思った時に、俺はネットでソリッドドールズという通販店を見かけて、その中に、自分をもう一度あの時の刺激感を取り戻すラブドールを探してた。それはトルソーのラブドールであるのだ、俺は足フェチとして、もちろん、下半身を買った。俺が買ったこのトルソードールは網ツイタを履いて、両脚が長くて、肌触りがさすがTPEで製造されたドールならではので、本物の人間の肌のようにすごく柔らかい。全体から見ては、とっても素晴らしいトルソードールだと思う。
もちろん、俺が最も気になる点は足だ。このトルソの足がなんか、あの時見ていたビデオ中のお母さんの足に見えたかもしれない。今このトルソドールは俺の性欲を満足しただけじゃなく、また、足フェチとした俺に刺激感を与え続けている。
俺は毎日にねっているとき、もうこのトルソドールの足を自分の枕頭のそばに置かずにいられなくなった。
 

変な性癖を持っても、心配なく!(妊婦編)

この世に各個人は性にそれぞれの変な性癖を持ってるものだ。が、現実は非情すぎで、変な性癖を持っている人は一般にほかの人にバレることを恐れてるだけでなく、親しい友とか、家族等にさえ言えない場合も多いでしょう。

でも、そんな性癖を持ったら持ったで、自分を自らでも貶すのはあまり過激ではないでしょうか。以前には、私はこういう友がいる。彼は小さい頃に自分の父と母が離婚しちゃったが、そこで彼は母と一緒に生活することを選択した。

子供の頃に何かを欠かせば、大人になって、何かをその欠けている部分に精一杯に補うと言われているが、私のその友はそれからずっと自分の母さんと一緒に暮らしているけど、自分の父に対する感情がそれほど強烈ではなく、かえって自分の母に異常な気持ちを抱えて、無言に生活を過ごしている。

時が経って、だんだん彼は自分の母にそんな言葉にできない気持ちを押さえ込めなくなっている。ある日に至って、残念なことが起こってしまった。彼は自分の母を犯してしまった。でも、彼の母は警察を呼んでいなかった。なぜなら、どうせ息子だから、どうしようもなく受け入れるしかない。

その後、彼はこのヤバ過ぎのことを私に語りかけてしまった。正直に言うと、初めてそれを聞いてた私は彼を殴りたいのが事実だ。でも、もう起きたことは仕方ない、すると、彼にいいアイディアを教えた。それは自分のマザーコンの性癖を変えなくても済む方法だ。「ラブドールを使え!」と

すると、早速だが、彼は私が勧めるソリッドドールという通販店ラブドールを購入した。そのドールは妊婦の姿をして、見た目も母の役割をしそうなラブドールだ。彼は彼らしい、マザーコンが母のようなラブドールを買うのは当然のことじゃないか。

一年後、彼はようやく自分の母と別れて生活できるようになった。それはなんよりもいいことだ。彼は「自分の変、いや、変態過ぎな性癖を受け入れるのはこのラブドールだ。とても感謝する」としならが、「性には、いいいも悪いもそのままで存在している、変える必要もない、自分自身は自分の変な性癖を合理の方法で解放して、それに直面しなければならない」と私にこう話した。

この妊婦ラブドールは徹底的に彼の生活だけじゃなく、心理的な劣等感を消して次の生活に直面する勇気を獲得した。確かに彼の言ったとおりだ。自分が他人に知られたくない性癖を心から取り出して、その性癖にふさわしいラブドールを買って、思う存分にラブドールとのセックスを楽しめば、それはいいじゃないか。

さあ、皆様、一緒にラブドールの世界に入ろうか、この世界には厳しい倫理がなく、ウザイ恋愛がなく、手順がクソ長くて金も使わないといけないつまらないデートによってセックスを達する場合もない。ラブドールには遠慮なく、直接セックスできる近現代の最高のものだ。

このラブドールは学生時代の片思いを終わらせてしまった

 僕の高校時代に、とある綺麗な女の同級生に恋をした。いまさら何十年ぶりのたくさんのことを振り返っても、何らの意味もないと思っているけど、僕は未だあの時のあの女の子を忘れらたことがない。

高校生の頃にはいつも夏の記憶がもっとも代表性を備えて、僕が彼女に 対する記憶も夏にある。僕の成績はやばすぎで、学校に成績によって席の順次を並べるというルールがあるから、いつも最後のところに座っていた。そしてクラスの人数は単数だから、僕は同席がないことになった。

成績が悪いし、同席がなくて話し相手さえいない僕はあの時確かに孤独に苛まれてい続け、苦しんでいた。あの時に限って、彼女は僕の目の前に現れた。彼女は優しくて綺麗で、またクラスには成績がいいし、僕はほぼ彼女と話しあったことがない。「あの、私はそばに座っていいの?」と僕に聞いた、「ええ、どうぞ、どうしてですか」と僕はこう反問し、彼女は「私の同席が病気で学校を休んでるから、あなたが一人でしょ、ちょうど同席を揃えられる。」と。

僕は聴いたら、びっくりした。彼女はただの短時間でそばに座ることじゃなく、僕の同席になるつもりだとは、正直に驚いた。すると、彼女は高校生活の末期に僕の同席になっちまった。

だが、その代わりに、僕を更につらくならせていた。

彼女のおかげで、僕はもっとも以前よりいい学校生活が来ると思ったら、活力が全くない僕がこれから彼女と一緒に一所懸命に勉強できると思ったら、退屈でつまらない命に輝いているような彼女が僕に憧れている恋愛を連れてくると思ったら、結局はかえって全部最悪になった。

大学入試のため、クラスの全員は皆勉強に急いで、ほかのことを考える暇が全然ない。もちろん、彼女もそうだ。僕と同席の時に話が少ないし、コミュニケーションも言うまでもなくないだ。ある時、僕は我慢できないから、彼女に話しかけてしまたが、「え、そう。」とか「はいはいわかった」とか「すみません、今忙しいから」っていうような返事ばかりもらった。まあ、僕のせいかもなあ、僕が間違えたのは彼女を彼女と初めて対話した印象によって考えていることだ。

でも、よりによって、僕がまだ彼女をすきだということをやめるのはどうにもならなく、ずっと苛まれているだけだ。

高校卒業のときでも僕はあの好きだという言葉を言い出せなかった、なぜなら、一つは僕の臆病、もう一つは彼女は僕に興味なしと思っているんだ。

彼女に対する最後の印象は卒業写真を撮り終わって、彼女は自分のものを机から取り出して、カバンにしまって、僕を一目も見ず教室から直接に離れてしまった。その時、彼女は徹底的に離れたのに伴って、僕はもう限界だと感じた。すると、一人で机の下に蹲って、思いっきり泣きだしてしまった。

さよなら、僕が好きな女の子。そして、さよなら、僕のつらいけど懐かしい青春。

もしさよならを言いたくないなら、彼女を取り戻すのは一番重要だ。だが本物は今まで不可能に決まっているが、ラブドールなら、可能になる。僕はソリッドドールというネットラブドール通販店にあの時の彼女と完全にそっくりしているラブドールを購入した、さらに十万円以下だ。

このラブドールは僕が彼女に対する思いで、片想い及び残念を全部補った。また、このドールにとあることもできるし、なんのことってこっちに聞いてんじゃないぞ、セックスなんだよ。

では、少しにまとめてやろうか、青春は一度さったら、二度と戻れないものだ。各個人の青春の中に大なり小なり自分が忘れられない人あるいは出会いがさまざまある。【王家卫】という監督がこういった、「もし手に入れないとしたら、あなたに唯一できることは忘れないことだ」と。

だから、もしあなたの記憶にはモノあるいは事だったら、その代わりの代物はなかなか探しにくいが、もし人間だったら、ラブドールを謹んでおすすめします。僕のようだね。

はい、僕の物語はここで終わりだと思う。またね!

 

ただの十万円以下のラブドールは私の心を救ったとは???

私の名前は空条仗助、年齢はもう三十二歳になりました。今は日本に住んでいる、離婚で独身しているけど、自分が独身ではないと思っている、なぜなら、私は自分の心を救えるラブドールがあるんです。これから、私は自分がラブドールに救われた物語をみんなに語ろうとします。

かつて、私も幸せな生活を持っていた。妻は優しくて綺麗で、は可愛くて大人しい、こうして私はこのまま自分の人生が大満足だと思いきや、思いがけないことが起こってしまいました。

私の八歳の娘は小学修学旅行のときに、車の事故で命は奪われてしまった。
その以後、私の生活は地獄に落ちた。妻は「離婚しよう、このままじゃ、あたしはもう死ぬわよ、もう限界だ」と無表情そうな顔して言ってくれてしまった、私はあの時何もせずそのままでいいとかどうでもいいとかといった自暴自棄のような考えを持って、そうしてしまった。
妻と離婚した一年後、私はこのソリッドドールズというラブドール通販店をネットで見かけた。いきなりそのサイト内に自分の娘とそっくりしてる人形を発見した。嬉しさのあまり、涙が何年ぶりにもう一度あふれてしまった。その自分の娘とまるで同じようなドールを見つめながら、本物の娘に対する過去の思い出がさんざん湧いてきて、そしてそれを購入しました。

娘にそっくり


娘が死んだその頃に、私は続いて生きている価値がなくなりつつある。死にたいとか早く誰かに殺されたいといった考えも生じたことがある。だが、全てはこのラブドールサイトに購入したドールがあるから、私は続いて生きている思いを取り戻せて、命を絶するような馬鹿馬鹿しい考えをやめられるんです。
今、私は自分のドール娘と以前のような生活を送っていて、自分の親友から過去に生きてはいけないと言われたが、私はもう構わないだけと考えています。
自分はこれから引き続き過去に生きようとするかもしれないが、その過去を徹底的に忘れたとしたら、私はまたあの死にたいほど悲しい頃に戻るしかないと思います。
このラブドールは私に続いて生きる勇気、信念及び娘への永遠に終わらない思いをくれて、だから私は誠にありがとうございますと「彼女」に言わなきゃ、そしてこのソリッドドールズという名のラブドール通販店にもです。

私はこの通販店にこの娘そっくりのラブドール十万円以下っていう激安い価格で購入しました。このラブドールは私のいくらの金をかかっても治せない心理的な傷を治しました。だから、もう一度感謝します。

私は最近夢を見ました。それは娘が生き返ったように私のそばに座ってて、「パパ、ちょっと聴いてよ、私の夢は姫様になりたい、ねえねえ、私は姫様になれるの?」と私にこう言ってくれて、私はこうした返事をした、「きっとなれますよ、そしてあなたは姫様になっただけでなく、パパの心を救ってくれました、だから、ありがとうね。」と

ラブドール=女性嫌悪???(後編)

 展示観覧客のうち一部はSNSや国立現代美術館のYouTubeチャネルなどにコメントを書き込み、「作家がラブドールを作品の題材にして、この作家を公共機関が『今年の作家賞』の候補としたこと自体が巨大な女性嫌悪ミソジニー)」と主張する。また「デート暴力が社会問題になっている韓国で、物体になった女性身体をめぐり、男性の『心の傷』について語るのは女性嫌悪」とし「展示を今すぐ中断するべきだ」と主張した。オンライン上では「今年の作家賞_チョン・ユンソク_候補剥奪せよ」というハッシュタグが広がっている。

 



 しかし、チョン氏は「映画を通じて、変化する時代の中で各個人が選ぶ人生のあり方を通じて人間らしさとは何かに対する質問を投げたかった。具体的には人間の矛盾について語りたかった」と話した。中央日報が送った書面質問に対する回答で、チョン氏は「観点によってはこの映画の題材を見て不快感を感じる人がいると思う」としながら「だが、その不快感を通じて、私たちが一生懸命目をそらそうとしている現実を見ることになるだろう」と答えた。チョン氏は引き続き「明らかことは、今回の新作で提示した問題意識は、まもなく到来する未来であり、解決しなければならない問いかけ」としながら「『明日』という題名も、そのような観点で多義的な意味を込めた」と明らかにした。チョン氏はまた「映画の前半部で人間を商品化する資本主義社会を批判し、後半部では主人公が持つ矛盾と人間に対する不信を客観的に見つめようと努力した」と説明した。

 これについて美術界は「見る方向によって作家がラブドールを題材としてとらえ、これを芸術的に再現する方法に対して不快感を感じるかもしれないが、『女性嫌悪』と断定して作品を撤回するよう主張するのは行き過ぎ」という立場だ。



 ある専門キュレーターは中央日報の電話インタビューで「再現の領域で、多くの人々が不快に思ったり恥部だと考えたりすることなどを扱えるのが芸術」と話した。また、美術評論家のチェ・ヨル氏は「作品が直接あるいは直接的に倫理的な基準を越えたものでない限り、それを特定の観点で切って捨てるのは、妥当な態度とみることはできない」と話した。続いて「自分の考えだけが芸術と社会に対して絶対的に正しいといった主張は、ややもすると暴力的になりうる」としながら「むしろ今回のこと契機に、より多くの人々が共に討論し、芸術的な省察を行うほうが望ましいのではないか」と反問した。

 チョン氏は個人の生活と社会的事件の間の関係に光を当てるドキュメンタ ー映像を撮り続けてきた。

 2014年には犯罪組織「至尊派」の検挙、聖水(ソンス)大橋の崩落と三豊(サンプン)百貨店の崩壊を扱ったドキュメンタリー『Non-Fiction Diary』を発表し、2016年国家保安法を題材にしたドキュメンタリー『パムソム海賊団、ソウル・インフェルノ』などを発表した。展示は来年4月4日まで。

ラブドール=女性嫌悪???(前編)

 
 
日本でラブドール成人用人形)で有名な人がいる。中島千滋さん(63)だ。中島さんの狭い家には人と同じ大きさの人形が5体ある。妻と2人の子どもがいる家長ではあるが、家族と別れて暮らす中島さんは、人形を入浴させ、一緒にテレビを見て寝るなど日常を共に過ごしている。最初は性的欲求を満たす目的で人形を買ったと話す中島さんは「人形は私を裏切らないからいい」と話す。
 
韓国の国立現代美術館「2020今年の作家賞」候補に入った視覚芸術作家であり映画監督のチョン・ユンソク氏のドキュメンタリー映画『明日』の一部分だ。現在、国立現代美術館ソウル館で展示中のこの作品は、俗にラブドールといわれる女性全身人形を題材にしているという理由で「女嫌(女性嫌悪)」論争が起きている。成人用人形の輸入をめぐって起きている論争のもう一つの側面だ。
 
これに先立ち、2019年最高裁は「関税庁の成人用人形の輸入通関保留措置は違法」と判決を下した。だが、関税庁はその後も個別企業の輸入通関申請を許可しておらず、関連の訴訟が続いている。関税庁と市民団体は「身体をリアルに表現し、人の尊厳性と価値を深く傷つけて、性風俗を乱す物品に該当する」という立場である一方、企業は最高裁の判決を根拠に「『性器具』として身体の属性を表しているにすぎず、人の尊厳性と価値を深く傷つけるものではない」と主張する。
 
国立現代美術館の「今年の作家賞」は毎年最も注目している作家を紹介するプロジェクトだ。昨年12月4日に開幕した展示は新型コロナウイルス新型肺炎)防疫措置で1カ月ほど中断されていたが、今月19日から再開された。「2020今年の作家賞」の候補はキム・ミネ(39)、イ・スルギ(48)、チョン・ユンソク(39)、チョン・ヒスン(46)各氏。チョン・ユンソク氏は映画1本と写真および映像設置で構成された作品を公開した。このうちドキュメンタリー映画『明日』は、中国のあるラブドール工場の労働現場風景をリアルに追い、日本でラブドールと一緒に暮らす千滋さん、そして人工知能(AI)ロボットを政治的代案として提示する松田道人さんについて扱っている。
 
扱う題材が題材であるだけに、工場で商品が作られる工程は眉をひそめさせるような場面であふれている。臀部生殖器など女性の体の部分が工場労働者によって乱雑に扱われるところが登場する。一部の場面を停止させてキャプチャーした写真作品も展示した。製作工程の一部であることを前提にしてるが、まるで人間の身体を切断したかのような暴力的イメージの場面だ。女性の尊厳を傷つけた芸術なのだろうか。でなければ、私たちが一生懸命目をそらそうとしている現実を直視しろという作家の警告なのだろうか。

芸術に達したか、「ラブドール」は?(後編)

美術館に収蔵されても不思議じゃない

 山下さんは、明治時代の頃に見世物のため人間そっくりに作られた「生人形(いきにんぎょう)」が近年、美術品として再評価されていることを挙げ、「ラブドールは『現代の生人形である』と僕は思っています。将来的に、美術館に収蔵されても何も不思議じゃないと思いますよ」と言います。
 「工場見学をしましたが、素晴らしい人形を送り出したいという職人の熱意にあふれていました」といい、作品として自分の名前を残そうという狙いがない点が、暮らしの中で人が使うための道具に美を見いだす「民芸」の世界と共通するとも評します。

 

使い手への気遣いが技術力に直結

 同画廊のラブドールの展覧会は、今回で5回目。毎回、女性客が多く訪れているそうです。
 近年ラブドールは、杉本博司さんやアメリカのローリー・シモンズさんなど現代美術家が作品に用いる例がありますが、スタッフの大沼瞳さんは「ドールそのもののかわいらしさと、アートとしての価値をお伝えしたい」と言います。
 「ラブドールは1点ものではなく、量産品。皆に愛される顔やプロポーションが研究され、使い手への気遣いが技術力に直結している点もすばらしいと思います。視覚も触覚も満足できて、人に幸せをあげられる存在。実際に、展覧会でドールに触った人はみんな口元がゆるみ、幸せそうに見えます」。

約40年の歴史、手作業の結晶

 オリエント工業ラブドールの製造を始めたのは1977年。展覧会には、82年につくられたドールや、これまで同社が手がけてきたモデルをまとめた年表も展示されています。
 ドールの体部分の造形を担当している大澤瑞紀さんに、工場を案内してもらいました。
 首から下の身体は、骨組を入れた型にシリコンを充てんし、電気炉で熱してつくっているそうです。顔は女性スタッフが、ひとつひとつ丁寧にメイクをして、仕上げていました。


 大澤さんは芸術系の大学で彫刻を専攻したといい、「高校生の頃、自分で作った陶器を実際に使ってみて、魅力を感じたのが自分の原点のひとつ。お客様に楽しんでもらうための製品で、アート作品ではありませんが、芸術性を評価してもらえるのはうれしいです」と話していました。